深夜3時。カップラーメンの空容器とエナジードリンクの缶が散乱する研究室で、私は甘えという概念と格闘していた。というか、単に論文が書けなくて現実逃避している。
「甘えの構造学的アプローチによる現代日本社会の相互依存関係の再考察」——バカでかいタイトルの割に中身スカスカの博士論文。今日も一文も進まない。
トイレで顔を洗いながら鏡を見る。「28歳、交際経験ゼロ、実家暮らし」という三重苦。髪はベタついて、目の下にはクマ。
「きのこよりたけのこ派です」なんて言ってるけど、実際はスーパーの特売の方を買う。学振が切れて生活が厳しいから。親から「いい加減就職しろ」とLINEが来るが既読スルー。これぞ「甘えの構造」の実践。
昨日、コンビニのかわいい店員に話しかけようとして、舌がもつれた。「ミ、ミッキーは資本主義のネズミだと思いませんか?」と意味不明なことを言ってしまい、引かれた。なぜ自分はこうなのか。
研究室の先輩は結婚して子どもがいる。同期は就職して家を買った。なのに私は、「甘え」を研究する名目で社会から逃げ続けている。恋愛どころか、家賃も自分で払えていない。
トイレの個室で教授からのメールを確認。「論文の進捗は?」に心臓が縮む。返信せず、YouTubeで「モテる方法」の動画を見る。効果ゼロ。
昨夜は実家で母が作った冷凍食品のストックを盗み出してきた。「たけのこの里」も一緒に。母に「ありがとう」のLINEすらせず、甘えっぱなし。
指導教授には「研究が思ったより複雑で」と言い訳。実際は昼過ぎまで寝て、その後はゲームと漫画。「甘え」の本質を肌で感じている、というポジティブ思考。
研究室のソファで仮眠を取りながら考える。この生き方は、いつまで続くのだろう。30歳になっても、40歳になっても、親に頼り、社会に甘え、自分と向き合わない人生。
朝日が窓から差し込む。新しい一日の始まり。今日こそは論文を...いや、またウソをつくだろう。それが私の「甘えの構造」。
それが私の惨めな人生。