二項対立で休みに境界線を与えるならば
労働が「地」であり、休みは「図」だろう。
「地と図」が入れ替わり、休みが過半数を超えた時
休みは労働にひっくり返ってしまうだろうか。
そう考えると、お正月は労働であると言える。
そんなことはない、感覚論・・・長すぎたとしてもお正月は休みだ。
休みは「相対的な事物」でなく、「絶対的な選択肢」なのだ。
つまりFireは心身のレベルで実現可能であり、ニートは勝ち組。
働いたら負けなのだ。